抹茶にとって一番のパートナーといえる茶筌。山政小山園で平成二十八年よりお取り扱いを開始した茶筌の作り手、「竹筌堂」の久保恭典氏に、高山茶筌の魅力と伝統技術についてお話をお伺いしました。
茶筌の里 奈良高山
およそ五百年前、足利義政の時代。茶筌は大和の国鷹山の地で生まれました。奈良の称名寺住職であり、わび茶の創始者と言われている村田珠光が、茶の葉を粉末にして飲むことを考案。現在の高山を治めていた鷹山城主の次男、民部丞宗砌に、攪拌するための道具の制作を珠光が依頼し、苦心の末に仕上がったのが茶筌です。その着想と精巧な技術は、時の後土御門天皇に認められ、宗砌が郷里の鷹山に持ち帰り鷹山家の秘伝としたと伝えられています。
竹筌堂は、茶筌作りの家系として二十三代目となる義父 久保左文氏に師事した久保圭造氏が設立。久保恭典氏は、その二代目として高い技術を受け継いだ伝統工芸士です。 「一本一本、竹には個性があります。太さ、硬さ、肉厚など同じ竹はなく、また作り手の体調や気候など、条件も様々。高い品質のものを安定的に作るには、同じ作り方でなく、その竹、その時にあわせて作ることが必要です。」
一本の原竹から、茶筌はわずか三本
茶筌に使われる竹は十一月~十二月に一斉に切り、油抜きをして一ヶ月ほど天日干しをします。そして二年間寝かすことで、茶筌に加工できる竹を選別します。硬すぎる竹は割れ、水分が多く柔らかい竹は萎びてしまうのです。また加工途中に生じた、わずかな先端の欠けなども商品として出荷できません。最終的な検査を通り商品として出荷できるのは一本の原竹までさかのぼると、わずか茶筌三本程度です。
高山茶筌の美しい形と機能性
「茶筌には、茶碗を傷めない先の柔らかさと、抹茶を点てやすいしなり、つまり硬さの両方が必要。そのため、「腰のある竹」を先端にいくほど薄く仕上げていく。途中が薄くなるとそこで折れたり、先端の薄さが足りないと、硬くて点てにくい茶筌になってしまいます。」
高山の茶筌には完成された美しい形と機能が共存しています。形だけを真似することは比較的容易かもしれません。しかし、点てやすく長持ちする茶筌には高い伝統技術が必要です。 「茶筌の先端を0.05mmまで薄く仕上げているか、0.1mmなのか。良い竹を選別し、竹に応じて加工しているか。外国産の茶筌もありますが、同じように見えても、高山の茶筌は点て味や寿命が違います。」
国内産の茶筌は、ほぼすべてが高山で作られており、原竹の生産から選別、茶筌の加工まで地域一体となって、日本の伝統文化を支えています。奈良県高山茶筌生産協同組合の理事長を務めている恭典氏は、行政を交えた竹林の管理・育成を進めています。高山茶筌の高い品質は、里の景観も配慮した取組みまで広がりを見せながら脈々と受け継がれています。
注:ちゃせんは、茶筅と書きますが、芸術の域まで高められた高山茶筌は、竹の全てを使うという意味を込めて、「筌」の字を使います。(奈良県高山茶筌生産共同組合より)本原稿では、「茶筌」で統一しています。
取材・撮影 山政小山園企画室